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人気経済YouTuber和田哲幸の上昇学に迫る!ソフトバンク現社長・宮川潤一直伝の経営哲学を実践し続けて四半世紀!事業コンサルからサンミュージック名古屋の経営・芸能マネジメントまで幅広く。著書5冊を出版「ないものから新しいルールを作ることにワクワク」「成功とは自分が成功したと思ったときが真の成功です」

INTERVIEW

人気経済YouTuberとして活躍する和田哲幸に今までの成功論についてインタビューしてきました。ビジネス哲学・人物論について言及するなかで元上司にあたるソフトバンク現社長・宮川潤一の教え、金言が次々と出てきました。最近は株式会社サンミュージック名古屋代表取締役に就任し、芸能マネジメントに参入。「株式会社カメリアプランナー代表取締役」「YouTuber」「人気作家」「中小企業スタートアップコンサルタント」「帝京大学可児高校同窓会副会長」「名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校講師」と数々の顔を持つ男の常勝(上昇)学に迫ってみました。

【エンタメじゃ腹は膨れないけど心は満たされる。震災現場で学びました】

―――和田社長にとって音楽とは?

和田 残念ですが、僕は良い音楽・悪い音楽について分からない人間だと思ってます。直接的な表現で誤解されるかも知れませんが、音楽は売るもの。でも生活にとってエンターテイメントは絶対に必要なもの。ボクは大学一年生の時に阪神・淡路大震災を経験しましたが、西宮市でボランティアに行って強く思いました。エンタメじゃ腹は膨れないけど、心は満たされる。精神的に追い詰められた時こそエンタメや音楽はなくてはならないものだと思っています。

 

―――和田社長にとってアーティスト育成のこだわりを教えてください

和田 最近では、甘党男子、Vector(ヴェクトル)、Suneeds(サニーズ)、RapiNz(ラピンズ)などのユニットを弊社でマネジメントしています。個人的に念頭に入れているのは、東京に勝つことより、名古屋で一番になることができれば、東京でも通用すると信じてます。特に大切なのは「売れている雰囲気や気配」をマネジメントがしっかり作っていくということですね。

 

―――本物の見極め方を教えてください

和田 本物もニセモノも売れたら同じだと思われる方がいますが、ボクはそうとは思ってません。才能の有無よりも夢を持って努力をし続けられるタレントと一緒に仕事をしたいと思っています。そういう人を探しています。

今後はアプリやAIがどんどん発展して、偽物でも戦えてしまうかもしれません。実際に楽器に触れなくても、歌が下手でも音楽活動が成立しています。デザインの世界でもテンプレートが乱用されお手軽な時代に。だからこそ、そこのボーダーラインと、しっかり向き合ったほうがいいよ、とボクは思います。プロとアマチュアの垣根。

よく気持ちの良い日本人ってなんだろう?と考えています。昔から見た目、形だけではダメ、中身や芯がないと一流の日本人と言われませんでした。着物もカッコいい着物だけじゃダメ、志がないと。ボクはそう思います。

 

―――サンミュージック名古屋の強みを教えてください

和田 タレントを勘や素質だけで売らないことですね。芸能は流行や時代の雰囲気で売り方を決めてしまう節が強いですが、ボクはマーケティング出身の人間です。広告、販促を知ってるからこそ、計画を立てて、予算を決めて、正しくプロモーションを行うことが強みです。もっと細かなことを言うなら、数値化していくことですね。我々の会社はタレント性を目に見える形にすることが上手だと思ってます。そのほうが分かりやすいですよね。

【読書の虫でジャーナリストを夢みてました】

―――和田社長の人柄を教えてください

結婚してまして2歳の娘がおります。

趣味は、車とバイクの運転、スキューバダイビングです。あと神社仏閣めぐりが好きで、三重県鈴鹿市の椿大神社、滋賀県甲賀市土山の田村神社、奈良県明日香村の古い仏教寺院や愛知県犬山市の清水寺(せいすいじ)などがオススメです。好きな仏像は兵庫県太子町の斑鳩寺の月光菩薩です。資格は、高校の地理と歴史の教員免許を持っています。

座右の銘は、英国ジャーナリストのウォルター・バジョットの言葉で「人生における大きな喜びは、君にはできないと世間がいうことをやることだ」です。

好きな作家は、アニメ監督の富野由悠季、『星の王子さま』著者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、ノーベル文学賞作家のヘルマン・ヘッセ、『湘南爆走族』著者の吉田聡、司馬遼太郎などなどです。自己啓発本やビジネス書、実用書などもよく読みますが、小説の方が好きです。現代の小説家だと、五十嵐貴久さんや越谷オサムさん、山本幸久さんや安藤祐介さんなどもよく読みます。

宇宙世紀ガンダムマニア、星の王子さま研究家として自負しております。

 

―――読書の虫ですね?オススメの本を教えてください

和田 そうですね。小さい頃から本を読むことに全然抵抗がありませんでした。よく本屋にいました。オススメの本は司馬遼太郎『殉死』、ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』、夏目漱石『こころ』です。番外編としては『星の王子さま』で、自分の気持ちが乱れたときに読むようにしています。

あと、五十嵐貴久さんの『気仙沼ミラクルガール』は自社で初めて作ったアイドルユニットのお手本にさせてもらいました。

 

【ないものから新しいルールを作ることにワクワクしますね】

―――和田社長の生い立ちを教えてください

和田 岐阜県可児市生まれで、父親はボクが19歳の時に亡くなってしまいましたが、料理人から身を立てて不動産、テナント業の社長になりました。2人兄弟の長男で、実弟は元地方競馬騎手の和田高明です。可児市大栄幼稚園、可児市立土田小、帝京大学可児中学・高校を経て帝京大学文学部社会学科を卒業しました。ちなみに帝京大学可児中学校は開校の第一期生でした。新設の学校だったので、全部が新しいことずくめということもあって、「ないもの」から「新しいルール」を作ることを学びました。今でも活きてますね。帝京大学可児高校3年では生徒会長を務めました。大学在学中は新聞記者、大きな影響を与えるジャーナリストを夢見て勉強していました。ゼミでは元朝日新聞記者だった高木正幸先生から色々なことを学びましたね。ゼミのテーマが差別・人権問題だったので、卒業論文は「薬害エイズにおける人権問題」で、薬害エイズ事件と逮捕された安部英(当時帝京大副学長)さんを必死で追い掛けました。川田龍平さんのもとにも取材に行きました。

 

―――就職するキッカケを教えてください

和田 学生の頃までは、経済で社会に関わる自分が想像できなくて、学校の先生か新聞記者になるつもりでした。今は世田谷区長ですが、当時は教育ジャーナリストだった保坂展人さんのもとで3年半ボランティア団体に所属して活動をしていました。そのご縁で1995年の阪神・淡路大震災の時に復興ボランティアとして西宮市に行った時には衆議院議員だった土井たか子さんの選挙事務所で寝泊まりをして香櫨園小学校に通いました。

また、教育実習では母校の生徒たちと触れ合って、ボクは先生になってはいけないと思いました。

大学卒業後、本屋でアルバイトをしながら自分を見つめなおし、愛知県犬山市に本社があった『日本晃伸株式会社』というベンチャー企業に就職しました。当時はインターネット黎明期で、ダイヤルアップのインターネットプロバイダーとして躍進していた会社の1つだったんですよね。ここで運命的な出会いがありまして、当時社長の宮川潤一氏(現ソフトバンク社長)と出会うことになります。

 

―――社会人1年目から現在のソフトバンク宮川社長が上司ですか?

和田 上司というか絶対にかなわない師匠ですね。今でも厳しい師弟関係です(笑)。社会人1年目の新人ながら宮川社長の運転手やかばん持ちをしながら、プロバイダーのフランチャイズ(FC)加盟店開拓の営業を担当しました。

その後、2000年に新しく「パソコン教室事業部」が出来まして課長に昇進。そのころ社名が、『株式会社ももたろうインターネット』に改名しました。そこで事業企画、パソコンスクールの経営や店舗運営、FCシステム、インストラクターの採用と教育、テキスト制作、講師用マニュアルの作成、内装工事、広報企画や広報活動、FC加盟店開拓営業など様々なことを経験しました。第一号店立ち上げの時は、二週間ほど会社に泊まり込んで準備しました。最終的に店舗はゼロから直営とFC合わせて80店舗まで増やしましたね。

25才のときの和田哲幸

―――その後、独立されるまでの経緯を教えてください

和田 『株式会社ももたろうインターネット』は、子会社のADSLという高速インターネットサービスを行う『名古屋めたりっく通信株式会社』という会社と合併したのですが、その『名古屋めたりっく通信』は2001年にソフトバンクのグループ会社に買収されました。同時に宮川社長や多くの同僚はそのタイミングでソフトバンクグループに移るわけなんですが、26才だったボクは別の道を選びまして、『ももたろうインターネット』時代の株主たちと2002年12月に30人程度で新会社を立ち上げ、営業担当取締役に就任しました。その後、2010年からは『株式会社カメリアプランナー』の代表になりました。この会社はもともと1982年に設立された愛知県犬山市の清水寺という禅寺の墓地の管理会社だったのですが、社歴のある会社はそれだけで価値があるということで、事業内容を変更して広告代理店として独立した形になります。

 

【やって欲しいと言われたことは断れない性格なんですよ】

―――独立されてから順調だったのですか?

和田 最初の年は広告代理店として収支トントンで着地する予定でしたが、決算月の2011年3月に東日本大震災が起こり、ご縁があって震災直後からソフトバンクの東北地域での通信網の災害復旧の企画に携わることになりました。3月の1か月の売上がそれまで11か月の売上とほぼ同じになって驚きました。その後はソフトバンクとのご縁がさらに深くなり、様々な通信事業のプロジェクト、通信建設工事や通信環境の安定化のための仕事をいろいろと依頼していただいています。学生時代からそうでしたが、よく頼まれごとをされるので、風になびく柳のように頼まれごとをしなやかに取り組んでいくスタイルのビジネスを行っています。本業は広告代理店ですが、通信事業に関するプロジェクト管理のほか、システム・プログラム開発や中小企業の事業承継、M&Aなどの支援を引き受けることがあります。現在は名古屋本社と東京の田町に事業所を置いて活動しています。頼まれごとで言えば、2012年から2020年までは人工衛星の技術会社・日本サテライトコミュニケーションズ(現JSC株式会社)の社長も引き受けていました。ビジネスで経験したことを忘れないために2015年からは身に付けたビジネスノウハウをまとめた作家活動をスタート。幻冬舎から『たった半年で次期社長を育てる方法』を出版し、現在5冊の本を出させてもらっています。

36才のときの和田哲幸

―――芸能のお仕事にはどのタイミングで進出されたのですか?

和田 だいたいいつも人の悩みを聞いて解決するスタイルのお仕事をしていたんですよね。そこで2016年にサンミュージックで諸問題が起こり、全国各地の事業所の撤退の話が入りまして相談され、いろいろあって別会社に切り出して引き継ぐことになりました。昔から頼まれたことは断れない性格で。2017年にサンミュージック名古屋代表取締役社長に就任。これまでのキャスティング売上を軸にしたビジネスから養成所を柱にしたビジネス展開に切り替えました。2018年4月からは学校法人滋慶学園 名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校の講師を受け持っています。世の中には意外にも芸能マネジメントに関する書籍がなかったので、教科書の代わりになる書籍『芸能プロダクション現役社長に学ぶ芸能マネージャー実務の教科書』を出版しました。2021年、ワールドスイーツトレンドアイドル『甘党男子』を運営するdhg株式会社と資本提携。2023年に名古屋市熱田区金山町にタレント志望の男子が運営するライブステージ併設型カフェ『ステージ&カフェ 半熟王子』をオープン。また、2023年4月からはFM愛知のラジオ番組『甘党男子石塚のウマい話』に所属タレントを差し置いてレギュラー出演中です。

 

―――今まで波乱万丈な人生を歩まれていますが記憶に残るエピソードは?

和田 守秘義務が多いので人には言えないことがたくさんなのですが、2002年に孫正義さんを乗せて運転したことがあります。愛知県丹羽郡大口町とソフトバンクがYahoo!BBの協定を発表する記者会見があって、名古屋駅から大口町役場までの往復の運転を担当しました。新幹線ホームまでお迎えに行って車に乗せましたが、孫さんからは短く一言「どれぐらいかかりますか?」と話しかけられたことが今でも記憶に残っています。喋ってもらったことよりオーラというか存在自体で学ぶこと、吸収したことが多かったです。

 

―――成功する秘訣を教えてください

和田 残念ですがボクは成功者ではありません。それどころかずっと負け続けていると思っています。そもそも新卒の就職に失敗して、所属していた会社はソフトバンクに買収されています。宮川社長はベンチャー企業から上場企業の社長になって大成功していて、彼と比べればボクは年齢以外に何も勝てません。ソフトバンクに転籍した昔の同僚や部下の方が大きいビジネスに携わっていて、彼らと比べればウチの会社の取引は桁がいくつも小さいと思います。ただ、人から頼られたことはできるだけ断らずにきました。人から必要とされているから続いているんだと思います。ピンチの多い仕事ですが、常に逆境になった時は「どうしよう?」と思う前に、やらなくてはいけない手順が思いつくんですよね。その手順に従って手を抜かずに取り組んでいるだけです。また、「成功」とは、人から認められるものではなく、自分が成功したと思ったときが「真の成功」だと思います。そうボクは信じてます。

 

―――最後に若い人にアドバイスをお願いします

和田 あまり偉そうなことは言えませんが、やろうか、やらないか、を迷うなら絶対にやってみた方がいい。若いうちはやってみた方が人生楽しいし、失敗しても学べる事が多い。そしてその負けは絶対に取り返せると思います。ただ独立は安易にはやらないほうがいいよ、と付け加えておきます。

 

▽プロフィール・和田 哲幸(わだ てつゆき)

1975年8月21日、岐阜県可児市生まれ。帝京大学文学部社会学科卒業。

起業家、作家、中小企業スタートアップコンサルタント、株式会社カメリアプランナー代表取締役、株式会社サンミュージック名古屋代表取締役、YouTuber、帝京大学可児高等学校同窓会副会長、名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校講師。元上司はソフトバンク代表取締役社長の宮川潤一。

・YouTube番組「和田哲幸のビジネス相談所」 https://www.youtube.com/@camepla

・株式会社カメリアプランナー http://camepla.jp

・株式会社サンミュージック名古屋 https://sun-music.jp/

・ステージ&カフェ半熟王子 https://hanjukuouji.jp/

・ワールドスイーツトレンドアイドル甘党男子 https://ama-dan.jp/

 

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